社会運動としてのイタリア精神医療改革

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「トリエステの精神病院は、1968年の異議申し立ての世代が、財力や政治権力に隷属させられたり、失望のあまりテロリストに転じたりすることなく、自分たちの掲げた理想を実現する機会を得た場所だった。広い範囲から眺めてみても、こうした場所は、トリエステを除いて他には存在しないだろう。」(本書のp.100) 

西欧諸国や米国や日本と同じように、1960年代のイタリアでは、若者を中心として既成の社会体制に対する激しい抗議が沸き起こった。70年代に入ると次第に運動は先鋭化し、内部抗争とテロリズムと警察による弾圧が吹き荒れるなかで、運動の求心力は急速に失われていった。しかし、その唯一の例外が精神病院の廃絶運動だった。精神科医フランコ・バザーリアが始めたこの運動は、心病める人々の欲求を根幹に据えた精神医療の実現をめざして、精神病院の廃止と地域サービスの構築を提唱した。彼の理念は1978年に「バザーリア法」として知られる国の法律に制度化され、運動の最大拠点だったトリエステは、1980年にヨーロッパで初めて精神病院を完全閉鎖した。現在でもイタリアは精神病院のない社会への取り組みを継続しており、トリエステは世界保健機関が推奨する地域精神保健の実践を世界的に広める一大拠点となっている。

誰もが不可能だと信じていたことがなぜ実現したのか。なぜ今もその取り組みが続いているのか。この問いは社会運動論の根本問題と関連している。

バザーリアはどのような言葉で市民を説得したのか。当初運動に反対や無関心を示していた「普通の人びと」は、運動が語る何に共鳴したのか。運動を広めるためにどのようなフレームが選ばれ、どのようにメディアが活用されたのか。どのような人的・組織的ネットワークがヨーロッパ中に張り巡らされ、そこからどのように資源が調達され、動員されたのか。敵手たちの反撃に直面したとき、どのように乗り越えたのか。当時のイタリアの政治環境はどのようなものだったのか。政党や政治家との連携やかけひき、そして国政と地方政治の緊張関係が、どのように政治的機会構造の開閉に影響したのか。硬直的な政治システムをこじ開けた下からの政治力はいかにして形成されたのか。

本書では、バザーリアとともに二人三脚で運動を率いたトリエステ県元代表ミケーレ・ザネッティの視点を通じて、こうした問いに答えている。そして運動がもたらした不可逆的な変革は、法制度化という可視的な成果だけではなく、人と人との関係性の変化にまで及んでいたことが伝えられている。狂気が理性を説得する可能性が、ここに拓かれたのである。

鈴木鉄忠