ヴェローナの「批判的」精神医療

イタリアにおけるすぐれた地域精神保健の取り組みは、トリエステだけに限らない。そのひとつがヴェローナである。「ロミオとジュリエット」で有名な人口約25万人のこの町では、大学が起点となって地域精神医療改革を実行するというユニークな経過をたどった。この改革を主導したひとりであるヴェローナ大学精神医学科教授のロレンツォ・ブルチ先生は、2015年10月に2度目の来日を果たした。今回の来日も、特定非営利活動法人「精神保健福祉促進交流協会」と上智大学の藤井達也先生が橋渡し役となって実現した。「イタリアにおける心理社会的リハビリテーション:過去・現在・近未来」と題して都内で講演を行い、縁あって、私は通訳として同道させていただいた。東京都の王子で開催された講演会の様子がブルチ先生の写真付きで『福祉新聞』の記事になっている。

ブルチ先生はいわゆる「団塊の世代」の1947年生まれ。1960年代後半、米国や西ヨーロッパ諸国で沸き起こった社会に対する「怒れる若者たち」の異議申し立てに身を投じた一人であり、1968年に出版されたバザーリア編著の『否定された施設』に共感した医学生の一人だった。その後、運動から身を引く人たちが多かったなかで、ブルチ先生は翻意することなく、精神病院の非人間的な状況をなんとかするために、活動を継続した。そして1978年の「バザーリア法」を活用しながら、大学病院から多職種チームが地域へ出ていき、地域精神保健の仕組みをつくりあげるという独自のモデルを築いていった。そのあたりのことは『コミュニティメンタルヘルス―新しい地域精神保健活動の理論と実践』(ロレン・R・モシャー、ロレンゾ・ブルチ著、公衆衛生精神保健研究会訳、中央法規出版、1992年)に詳しく書かれている。

2015年に来日したとき、ブルチ先生は2年後にヴェローナ大学の定年退職をひかえていた。定年後にどのようなプランがおありかを尋ねると、このように答えられた。

「私は自分のキャリアのなかでは、イタリアに心理社会的リハビリテーション学会を創設したことが大きな仕事の一つにある。時代の状況もよくて、うまくいった取り組みだった。今度は『批判的』精神医療psichiatrica criticaという学会か協会を立ち上げたいと思っている。精神科医や精神保健の仕事にかかわる人たちが、自分たちがどのような仕事をしているのか、あるいは、しまっているのかを考えていく集団にしていきたい。なぜなら精神医療はあまりにも自分たちに対して無批判だった。私たちの存在こそが、患者や当事者を苦しめている面があることを、あまりにも知らなすぎる。精神医療に携わる人自身が問題を批判するようなネットワークを日本の人たちとも連携してつくっていきたい」(2015年10月3日 王子講演会前のブルチ先生の談話)。

ここでの「批判」とは、精神医療のあら捜しをするという意味ではなく、精神医療の限界と可能性を見定めようという意味である。ブルチ先生は人生の残りの時間をこの「批判的」精神医療の実現に賭けようとされていた。

だが、その難しさも身に染みてわかっているようだった。逆にいえば、ヴェローナでさえも、「批判」を自覚的に広めていかなければ、批判的であり続けるのは難しいということでもある。また組織の立ち上げについても、これまでの実践や学術活動から、現実政治についての鋭い感覚を持っている。講演会ではセルフヘルプやケアの対等性の大切さを説くと同時に、慰労会では「本当にそうするためには、こちらも力を持たなければいけなんだ」と力説される。終始穏やかな表情を浮かべながら、冷静な視線をあわせもつ表情は、かつての「怒れる若者」の一面といまや熟練の域に達した知識と経験に裏打ちされた、ブルチ先生の理想主義と現実主義をよく表している。