写真の本は、バザーリアがトリエステ精神病院の院長だったとき、バザーリア夫妻が編纂した『平和に潜む犯罪(Crimini di Pace; Peacetime crime)』。ミケーレ・ザネッティさんはこの本の初版をバザーリア夫妻から贈られ、いまでも大事に取ってある。イタリアでは献本のときに、著者がメッセージとサインを添えることがよくある。バザーリアがザネッティさんに贈ったのは、「私たちは一人ではない(Non siamo soli)」というメッセージだった。
この本『平和に潜む犯罪』が刊行された1975年、トリエステの精神病院廃絶は道半ばだった。精神病院からは多くの入院患者が退院したものの、地域サービスはいまだ法的に認可されず、活動は不安定さを抱えた時期だった。アリタリア航空機での空の旅という一大イベント(『精神病院のない社会をめざして バザーリア伝』の125-127頁)があったが、バザーリアが退院患者の殺人事件で裁判にかけられた(同書の115-117頁)のも、同じく1975年だった。
もしバザーリアが「一人で」、孤高のカリスマとして改革を進めようとしたら、その実現は難しかったのかもしれない。ザネッティさんの『精神病院のない社会をめざして バザーリア伝』には、日本人の読み手には名前を追うのがしんどくなるほど、たくさんの固有名詞が登場する。この点についてご本人は、「改革を進めるとき、苦しい立場にあった私たちが頼りにできたのは、人と人とのつながり、ネットワーク、これに尽きる。精神科医、看護師、当事者、当事者家族、ボランティア、若者、地域住民、市民、ジャーナリスト、研究者、芸術家、政治家などが国内外につながりをつくった。これがあったから改革ができたのだよ」と答えた。ザネッティさんは、バザーリアが贈ったメッセージ「私たちは一人ではない(Non siamo soli)」への返答として、実際に「私たちは一人ではなかった」ことを証言に遺そうとして、改革に力を尽くした人たちの一人一人の固有名詞を書き残したのだった。
トリエステでも改革の際には、改革する人々のなかでの「内輪もめ」や「権力争い」があったという。しかしそれをバザーリアやザネッティさんたちは、常に意識して乗り越えようとした。そして乗り越えた。さまざまな手段を駆使して、日本でも「私たちは一人ではない」といえるための共通の土台をつくっていきたい。
