現在に生きる「バザーリアの遺産」―トリエステ精神保健サービスのいま(1)

「これは、バザーリアの遺産です。『地域精神保健サービス網構築の世界の手本』がここにあると僕は思っています」

ジャーナリストで訳者の一人の大熊一夫さんは、『バザーリア講演録 自由こそ治療だ! イタリア精神保健ことはじめ』(岩波書店、2017年)の解説を、このように締めくくりました。では、この「バザーリアの遺産」はその後どのように受け継がれたのだろうか。そう思う読者の方々がいるかもしれません。そうした好奇心や疑問に答えるには、トリエステ精神保健局の第一線で活躍している方に聞くのがベストでしょう。ではその最適任者といえば、現在、トリエステ精神保健局のトップを務めている精神科医のロベルト・メッツィーナさんをおいて他にはいません。
ロベルト・メッツィーナさんは、「180人Mattoの会」の招きで何度も日本に来訪していますし、大熊一夫さんの『精神病院はいらない! イタリア・バザーリア改革を達成させた愛弟子3人の証言』(現代書館、2016年)では、「トリエステ精神保健を世界に広める外交官」という絶妙な表現で紹介され、2本の講演録が載っています(なお本書をめぐって大熊一夫さんへのインタビューがSYNODOSに掲載されています)。「外交官」の本領発揮は、本年9月、精神保健の分野で顕著な功績をあげた人に贈られるGamian Europa賞を受賞したことからもわかります。「トリエステの活動は、裏付けや科学的根拠(エビデンス)が弱い」といった批判をたびたびうけてきました。メッツィーナさんは、そうした批判も無視せずに真っ向から受け止めながら、バザーリアが切り拓いた「地域精神保健サービス網」をさらに推し進めるべく、世界中を飛び回っています。

メッツィーナさんが「語ったこと」は大熊さんの『精神病院はいらない!』にありますので、ここではメッツィーナさんが「書いたこと」から、「トリエステ精神保健サービスのいま」をみてみたいと思います。そこで以下では、メッツィーナさんが2014年に『Journal of Nervous and Mental Disease』という学術雑誌に発表した英語論文「越境するトリエステ型地域精神保健サービス――リカバリーと市民権を擁護する“オープン・ドアーと拘束反対”のケア・システム」の概要を何度かに分けて紹介したいと思います(なお英語の原著論文については、すでにPDFファイルを無料で入手できるようです → Mezzina R (2014) Community mental health care in Trieste and beyond: An “Open Door” “No Restraint” system of care for recovery and citizenship. Journal of Nervous and Mental Disease. 202(6):440-445.)。
第1回では、このメッツィーナ論文の要約と導入部分を掲載します。『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』で語られた「バザーリアの遺産」が、トリエステのなかではもちろんのこと、世界的な精神保健分野でも意義を持つことを説得しようとする「外交官」メッツィーナさんの矜持が伝わってくるような論文です。

題目:越境するトリエステ型地域精神保健サービス――リカバリーと市民権を擁護する“オープン・ドアーと拘束反対”のケア・システム

ロベルト・メッツィーナ(トリエステ精神保健局長・WHO調査研究協働センター長・精神科医)

要約
フランコ・バザーリアが1971年に旧サン・ジョヴァンニ精神病院の院長に任命されて以来、トリエステは、地域精神保健ケアで国際基準の役割を果たしてきた。脱施設化の波のもと、精神保健局は社会精神医学を刷新する実験場となり、地域包括システムの取り組みと定義されるようなモデルを発展させてきた。精神保健局は地域サービスのネットワークを通じてケアを提供する。その際に、より広範囲な地域との連動を最重要視する。そこには精神保健を促進して、社会組織の網の目にまで入り込んでケアの責任を果たしていく、という考え方がある。サービス・ネットワークは年中無休24時間オープンの地域精神保健サービスに基づいている。本稿ではその組織と活動を詳述する。また活動と成果のデータを提示する。精神保健局の実績は、最良の地域精神保健実践を広める世界保健機関(WHO)との共同作業であることにもふれる。

はじめに
1971年、フランコ・バザーリアはゴリツィアとパルマで先駆的な仕事をした後、トリエステのサン・ジョヴァンニ精神病院の院長に任命された。トリエステは刷新的な精神保健ケアの実験場として国際的に知られるようになった。そして1973年には、世界保健機関(WHO)の「脱施設化と地域精神保健ケアのパイロット地区」になった(Bennett, 1985)。バザーリアのチーム、バザーリアの魂は、1980年の彼の夭逝後も生き残った。サン・ジョヴァンニ病院がヨーロッパで最初に閉鎖された精神病院となったのも、まさしくその1980年だった(De Leonardis et al., 1986; Dell’Acqua and Cogliati Dezza, 1986)。続く30年間も革新にむけた努力はたゆむことなく続けられ、今日では国内および国際の基準となるコミュニティ・ケアのモデルになっている。1987年、トリエステ精神保健局(英:Department of Mental Health略してDMH、伊:Dipartimento di Salute Mentale DSM)はWHOとのコラボレーションを公式に宣言した。
トリエステ(イタリア北東部のフリウーリ・ヴェネツィア・ジューリア州に位置し、住民23万6000人の都市)では、旧来の疾病の処置に基づいた臨床モデルが、「その人の全てとその社会的背景に目を向ける精神保健(mental health)」という広い概念のモデルへと変わった。組織の中核となるのは、1日24時間、週7日間活動している地域精神保健センター(Community Mental Health Centers略してCMHCs、伊:Centri di Salute Mentale CSM)のネットワークである。各センターには他国と比べてベッドが少なめに備えられている。精神保健局と連携したシステムには、市内に一か所ある総合病院精神科、支援付きの居住施設ネットワーク、複数の社会的企業が含まれている。
フリウーリ・ヴェネツィア・ジューリア州政府(人口、120万人)の精神保健政策は、トリエステ、ポルデノーネ、そしてウーディネの実験的経験が土台となっている。そしてこのモデルは、同州全体で試みられている。現在、州のすべてのサービスは同じような組織を持っている。低い入院率、少ない強制治療、効果的な就労斡旋、少ない触法患者、最近15年間の自殺率の減少(-30%)といった点で、類似の成果が得られている。

*(Bennett, 1985)などの表記は、参考文献への言及です。参考文献については、あらためて記します。

 

(鈴木鉄忠)