『バザーリアに触発されて、アフリカで6万人の精神病患者を救い出した』

今年は、1978年のバザーリア法(=180号法、イタリアにおける精神病院の廃止を決定づけた法律)から40周年です。イタリアの各メディアで多くの記事がでています。その中の一つを紹介します。(2018.5.9掲載の記事)
『バザーリアに触発され、アフリカで6万人の精神病患者を救い出した』
世界中で知られている活動家(アクティビスト)が、イタリアにやってくる
〈〈こうして私は、呪術師とにせ物の預言者から、犠牲者を解放する〉〉
Kouakou は鎖につながれて衰弱しきっていた。彼が住んでいたのは、コートジボアールにあるブアケという町から40キロ離れたある村だった。一体いつからなのか分からないほど長い間、彼は手足を鎖につながれたままだった。手足の肉は痩せ細り、鎖との見分けがつかないほどだった。Grégoireが、彼を見つけだしたとき、大急ぎでその鎖を断ち切った。しかし、その時すでに、敗血症が進行していた。その後すぐに、少年は息をひきとった。それでも、自分を助け出してくれた救世主に対して、彼は礼だけは言うことができた。「両親がなぜ私をこんな目に合わせたのか、分からないのです。私はできの悪い子ではなかったからです。」両親が少年にこの仕打ちをしたのは、彼は『気が狂っている』と思われていたからだった。
1994年のこの日から、Grégoire Ahongbononは、アフリカの村という村を歩きまわった。暴力で『治療された』、あるいは鎖につながれた精神病患者を探し出すためだった。精神病患者の『治療』には、今でもこうした方法が用いられている、彼は私たちにそう説明する。精神病者を救い出すために、Grégoireいつでも『仕事道具』を持ち歩いている。刈込ばさみ、のこぎり、大小のハンマーといった仕事道具である。Grégoireは、精神病者たちを救い出すと、自分の医療センターに連れ帰っている。こうした活動により、Grégoireは、『アフリカのバザーリア』と見なされている。(1998年には、彼はイタリア人神経病学者の名にちなんだ国際賞を受賞している。彼に与えられた名は、『狂人たちの天使』だった。)
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こうして、これまでに6万人以上の精神病患者が迎え入れられてきた。そのうちの2万5千人が、現在では、8か所の治療センター、28か所の医療相談センター、13か所の社会復帰センターで受け容れられている。そのうちの1000人以上が、鎖でつながれていたところを助け出された人々だった。ある女性の悲しい記録がある。『ジェニンは、ごみ捨て山の近くで、丸太に腕を縛りつけられたまま囚われの身になっていた。36年間にわたって、縛られたままだったのである。』・・・・・・