『トリノの場合-子供用の精神病院;暗闇から明るみへ、再生の物語』

拡散お願いします!!〈バザーリア法から40年〉ーその⑤ー
『トリノの場合-子供用の精神病院;暗闇から明るみへ、再生の物語』
https://video.repubblica.it/…/3-torino-il-man…/305529/306158
(2018.5.23の記事の全訳です)

マニコミオ(精神病院)には、大人だけが閉じ込められていた訳ではなかった。子供用の精神病院も存在していた。子供たちはすでに2歳や3歳の時には、病院に収容されていた。その理由は単純なことが多かった。貧しい家庭の子供であるとか、シングルマザーの子供であるといったことが、その理由だった。カルテには、”活発である”あるいは”駄々をこねる”といった記載がされていた。

とても頑丈な造りの精神病院という暗い穴蔵のなかで、子供たちは時間を浪費させられていた。例えばグルリアスコという場所にあった〈青の館〉の物語がある。そこは、トリノにあった元精神病院のうちの一つだった。そこでは、子供たちは拘束され、抑圧され、懲罰として電気ショックの被害にあっていた。それを行っていたのは”電気ショック医”のジョルジョ・コーダという人物で、後に彼は虐待を行ったことにより有罪の判決を受けた。

これは、スパルタコさんの物語である。彼は元〈青の館〉の住人で、その後別の精神病院や別の組織で暮らしてきた。現在は60代になっているが、この年になってようやく”Iesa” (精神障害を持つ人たちを受け容れるホストファミリーを探す支援を行っている) http://iesaitalia.altervista.org/ のおかげで家族を見つけることができた。”Iesa”は、今ではイタリア中に存在するが、いまだに多くは利用されていない。

〈青の館〉は、エスプレッソ紙が1970年に行った告発により、メディアの注目を集める事件となった。そして、マニコミオの廃止を盛り込んだ1978年のバザーリア法(180号法)の施行により、この館は閉鎖された。今日、この館があった場所を見てみると、精神病院の改修作業は中断され、一つの小さな館だけが廃墟となって取り残されている。バザーリア法から40年が経過した現在、問われるべきなのは、「以前には、マニコミオで横行していたこの恐怖の記憶に対して、社会はいかなる配慮を行うことができたのか」ということである。